
第六弾 うちなーぐち編

はいさい!(男性向け)/はいたい!(女性向け)
RookieのKuriyamaです!
沖縄といえば、青い海、白い砂浜、そして「うちなーぐち」と呼ばれる独特な方言があります。
沖縄の北部・中部・南部でも使われている言葉がちがうのですごく面白いです。
今日は、沖縄の人ともっと仲良くなれる「うちなーぐち」を紹介します!
沖縄の人たちは、あたたかくてフレンドリーなので
「うちなーぐち」をちょっとでも話せたら、もっと距離が縮まること間違いなしです!
まずは 基本の挨拶 、標準語とまったく表現が違うのが面白いですよね
👋 こんにちは →「はいさい!(はいたい!)」
✨ ありがとう →「にふぇーでーびる」
👋 さようなら →「ぐぶりーさびら
ここら辺は聞いたことある人も多いかもしれません
🌴 「なんくるないさー」
→ 「なんとかなるさ~!」っていう、超ポジティブな言葉。
🌴 「ちむどんどん」
→ 「胸がドキドキする!」っていうワクワク感を表す言葉。
🌴 「いちゃりばちょーでー」
→ 「一度会えばみんな兄弟!」出会ったらもう友達、家族のように接するのが沖縄流。
① うちなーぐちのルーツ
うちなーぐちは、現在の日本語(ヤマト言葉)と同じ 「日本語族」 に属しておりますが、
沖縄独自の発展を遂げており、標準語とは異なる語彙や文法が数多く存在いたします。
古くから沖縄(琉球諸島)は、日本本土や中国、東南アジアとの交易が盛んであったため、
さまざまな言語の影響を受けながら、独自の言語体系を築いてまいりました。
② 琉球王国時代の影響
1429年に琉球王国が成立すると、首都 首里(しゅり) を中心に、宮廷や役人の間で話される
「首里方言(しゅりほうげん)」 が公用語として用いられるようになりました。この首里方言が、
現在のうちなーぐちの基盤となったと考えられております。
また、琉球王国は当時、日本(薩摩藩)、中国(明・清)、朝鮮、さらには東南アジアの国々と
広く交流しており、それぞれの国の言語からの影響も見受けられます。
このように、琉球王国時代には、外交や貿易を通じて多くの言語が交わり
うちなーぐちはより豊かな表現を持つ言語へと発展していきました。
③ 近代以降の変化
1879年に琉球王国が日本に併合され、沖縄県となると、明治政府による 「標準語政策」
が進められました。
特に、学校教育では標準語の使用が強く奨励され、「方言札(ほうげんふだ)」
という制度が導入されました。これは、方言を話した生徒に対し、「方言札」
と呼ばれる札を首からかけさせるという罰則であり、これにより次第にうちなーぐちを
話す機会が減少していきました。
さらに、第二次世界大戦後のアメリカ統治下においても、日本語(標準語)の使用が広まり、
うちなーぐちは衰退の一途をたどりました。
④ 現代のうちなーぐち
近年、うちなーぐちは 「消滅の危機にある言語」 として、ユネスコ(UNESCO)によって
「危機言語」 に指定されております。特に若い世代の間では、日常的に使用する機会が減少しているのが現状です。
しかしながら、沖縄県内では うちなーぐちを守り、次世代に伝える取り組み も行われております。
学校教育の一環として方言の授業を取り入れたり、テレビやラジオでうちなーぐちを用いた番組を放送したりするなど、その復興への努力が続けられております。
うちなーぐちを使ってみよう!
旅行先でこんな会話ができたら、沖縄の人との距離がグッと近くなるはずです!(笑)
🌺 場面①:道をたずねるとき
👤 旅行者:「はいさい!〇〇ビーチに行きたいんだけど、どっちね?」
👤 沖縄の人:「あっちさ~。まっすぐ行って右に曲がるとすぐわかるさ~!」
👤 旅行者:「にふぇーでーびる!」
🌺 場面②:おいしい料理を食べたとき
👤 旅行者:「まーさん!(美味しい!)」
👤 店員さん:「お~、うちなーぐち上手やっさ!」
最後に
うちなーぐちは、ただの言葉じゃなくて、沖縄の温かい心が詰まったものなので
もし沖縄に行くことがあれば、ぜひ使ってみてください!!
それじゃあ、今日はこのへんで!
ぐぶりーさびら~!(またね~!) 😊🌺
Kuriyama