町を知る
Good morning!
おはようございます!
本日のBlog担当はPresident Office moriyamaです。
本日は甲子園 準決勝
毎日毎日ドラマある試合が繰り広げられ
毎晩放送される『熱闘甲子園』の演出には目頭が熱くなってしまいます。
さて甲子園のネタはこの程度にして、
本日は東京の街 について・・・
ベタではありますが、我々ゲーツメンバーにとっても身近な
『月島』
月島 と聞けば もんじゃ焼き を誰しもが想像するかと思います。
その土地の成り立ち・歴史について調べてみました。
月島といえば下町という印象があり、
下町という江戸時代から続く古い歴史のある土地を想像してしまいます。
しかし月島は幕末まで隅田川の河口にたまる砂と小石だったとのこと。
幕末から明治時代の初め頃、佃島の石川島という2つの小さな島があり、
島の周辺には川から運ばれてくる砂と小石で、
砂し(海中に細長くできる砂の陸地)が出来ていたとのこと。
ただ、そうなると大きな船が入ってこれなくなり、
その為、河口付近の川底にたまった砂や小石を取り除き、
大きな船の行き来を可能にしました。
更には、その砂や小石で佃島の先に延びる砂の陸地を埋め立て、
新しい島を作られました。島を築いたために、読んで字のごとく、
「築島(つきしま)」と命名されました。
のちに、築地と区別するために「月島」に改名されたそうです。
その後、今でいう「勝どき」のエリアが埋め立てられ、沿岸の鉄工所や機械工場などで働く労働者が次々と移り住んできます。
大正時代から昭和の初めにかけて人口は膨れ上がり、
月島には長屋が多く建ち並んで、子供もいっぱい育ったといいます。
駄菓子屋では当時、東京の下町で広く食べられていた
「文字(もんじ)焼き」といわれるお菓子が人気を博しました。
正確な資料は残っていないようですが、
これがルーツとなり いまのもんじゃ焼き が広がっていったようです。
月島はかつて、石川島造船所の下請け工場などの町工場が密集していたらしく、
人も多く集まり自然に商店街も形成されていったとのこと。
戦災の被害をあまり受けなかったことにより、
戦前からの古い町並みがタイムカプセルのように残ったそうです。
その後、石川島播磨重工業の工場が閉鎖し、
その後、バブル景気によって町工場への跡地はマンションに変わっていたようです。
タワーマンションの麓へは
今でも残るたくさんの古屋と細路地。
個の細路地に隠れるように点在する
もんじゃ以外の飲食店もたくさんありとても魅力的な街。
街の歴史・成り立ちを知り、
食するその地のグルメはより一層おいしく
趣深く感じます。
次回は、門前仲町 について
ブログに綴りたいと思います。
moriyama